全力で走る、そんな映画が気になってしかたありません。 いままで見た映画を思い出しながら、気長にコメントしていこうと思ってます。※作品の内容や重要な部分に触れていますので未見の方はご注意ください。
〜走るレプリカントと走らないブレードランナー

ブレードランナー1

走る人:ゾーラ(ジョアンナ・キャシディ)
と き:2019年11月
ところ:ロサンゼルス


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この映画をいつどこで観たのか、思い出せないのです。
仙台にいたころ、隣の市の塩釜東映で何かと2本立てで(懐かしい)観たような気もするけど、レンタルビデオだったような気もします。

いずれにしても、とても気に入ってしまってあとになってレーザーディスク(当時はこれでした)を買ったんでした。
でも最初にみたものと、レーザーディスクの内容がちょっと違っていたような気がする。
その後DVDになり、ディレクターズ・カットとかファイナル・カットとか、なんだかいろいろ出たんですよね。
今は「クロニクル」と銘打って、3つのバージョンが1枚に収まった便利なものまであります。

もうストーリーのおさらいは必要ないでしょう。
デッカード役のハリソン・フォードが、当たり前ですが若くて魅力的です。
念のため確認してみると、「スターウォーズ」一作目が1977年、「地獄の黙示録」(1979年)、「スターウォーズ/帝国の逆襲」(1980年)、「レイダース/失われたアーク」(1981年)ときて、この「ブレードランナー」が1982年なんですね。

売り出し中のアクションスターなのに、そして「ブレードランナー」という名前にも関わらず、まったく走りませんな。
まあ、「逃亡者」のところでも書きましたが、ハリソン・フォードって意外と走らないんですよね。

この映画でとても印象に残る走りを見せるのは、レプリカントのゾーラ(ジョアンナ・キャシディ)です。
デッカードが捜査のために「芸人協会からきました」と言って、スネーク・ダンサーのゾーラに近づくシーン。

ブレードランナー2

ここ、結構好きな場面です。
ちょっとおちちが見えたりしてなんか得した気分になったり、・・・いや、失礼。

ゾーラは殺人能力のあるレプリカントですから強い。
デッカードはあやうく締め殺されそうになりますが、他の芸人たちが入ってきたためゾーラは逃げ出します。

ブレードランナー3

夜の雑踏の中を走る、走るゾーラ。

ブレードランナー4

デッカードは追いかけますが、ウロウロするばかり。これで大丈夫なのか?心配。

ブレードランナー5

ゾーラは走ります。それを後ろから撃つデッカード。
スローモーションで、ガラスに突っ込むゾーラ。

ブレードランナー6

メイキングのドキュメンタリー映画「デンジャラス・デイズ(これは最初の原題)」(2007年)では、このシーンがかなり切迫した状況で撮影されたということが明かされています。
そんなことはまったく感じさせない、素晴らしいスピード感の走りっぷりです。

それにしても、この後に続くデッカードの弱さはなんなんでしょうか?
もう一人のレプリカント、リオン(ブライオン・ジェームズ)には構えた銃をはたき飛ばされ、ぼこぼこにされて殺される寸前までいきます。
リオンは戦闘型だからわかるとしても、兵隊慰安用のプリス(ダリル・ハンナ)にまで銃をはたき飛ばされ、股に頭を挟まれ、鼻に指を突っ込まれたりしてます。
バティ(ルトガー・ハウアー)との戦いは、言うまでもありませんが、まったく勝負になってません。

最初のほうでは、腕のいいブレードランナーとしてお声がかかる、という設定なんだけど、結局4人ともまともに戦ってたら負けてますね。
強気なのは、自分のアパートでのレイチェル(ショーン・ヤング)に対してだけではないですか。
ブレードランナーの名がすたるなー。

このレイチェル、肩パッドもりもり、髪もコテコテのスタイル。
ハードボイルド調のヒロインという設定なんでしょうね。すぱすぱとタバコも吸うのもハードボイルドものの特長。
私はこのショーン・ヤングはあまり似合っているとは思わないのですが・・・。

ブレードランナー7

ところがデッカードのアパートで、髪を降ろすと別人のように美人になります。
これには私も参りました。こちらのショーン・ヤングはとても好きです。

ブレードランナー8

実はこの映画の中で、もう一か所すごく好きな場面があります。
捜査で入ったいかがわしいバーから、デッカードがレイチェルに電話をかけるシーンです。

ブレードランナー9

これを最初にみたころ(たぶん1983年か1984年ごろ)は、当然携帯電話なんてまだ誰も持ってません。
バーにある公衆電話が「テレビ電話」で、呼び出し音に出てくるレイチェルの様子!
その感動は今でもはっきり覚えています。

未来SF映画では必ずといっていいくらいに出てくるテレビ電話。
「2001年宇宙の旅」「メトロポリス」でも出てきてましたね

ブレードランナー10 ブレードランナー11

でも、酒場から彼女を口説いてふられるという状況でのテレビ電話の、このイメージ。
周りは張り紙や落書きで薄汚れています。冷たく向こうから切られて呆然とするデッカード。
今となっては、公衆TV電話など絶対にありえないとわかっていますが、それだけにかえって貴重な場面になっています。

あまりに弱く、走りもしないブレードランナー、デッカード。
それでもこんなに魅力的なのは、雨のそぼ降る歌舞伎町のような街の雰囲気とヴァンゲリスの音楽の力ではないかと思います。
なにしろ、電飾看板の文字が「基礎の充実の上に お手持ちの烏口(からすぐち=今はほとんど使われない製図用品です)」ですから。どこから引っ張ってきたんだろ、これ。

ブレードランナー12

ヴァンゲリスの音楽も、未来ハードボイルド感あふれてますよね。

2019年という年号に意味があるとは思いませんが、今はもう2012年。
「2001年宇宙の旅」のような宇宙旅行はまだ出来ず、2003年に生まれるはずの鉄腕アトムにも会えてません。
SF映画の楽しさは、もしかしたらこんな風になっていたかなというパラレルワールドを覗く楽しみかもしれませんね。

2012.04.30.

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〜日常の出来事として見る生と死

ココシリ1

走る人:リータイ(デュオ・ブジエ)他私設パトロール隊員たち
と き:1996年冬
ところ:ココシリ(中国青海省)


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映画で描かれる死は、通常それそのものが大きなテーマになっています。
登場人物が死ぬのか生き残るのかということが物語そのものだと言っても過言ではないでしょう。

日常で死に接することが急激に減っていくのと反比例して、
映画やテレビでドラマ化された死が溢れていく、ということになっているのかもしれません。

しかし、よくよく考えると最近の高齢化社会では寿命をまっとうした死は日常的になりました。
他方、昨年の大災害を忘れるわけにはいきませんが、日々の生活で自分や周りの人の死を意識することはありません。
「死」が、事故や災害などの「突発的な死」と、「平和な日常の死」の両極端になっているのです。

チベットの奥地ココシリに記者が取材をするというかたちのこの映画。
冒頭から「突発の死」でも「平和な死」でもない日常が始まります。

物語は1993年から1996年の実話が元になっているといいます。
チベットカモシカの乱獲による絶滅の危機に、私設のパトロール隊が結成され密猟者と戦います。
隊員は無給、身銭(今でいうボランティアですね)です。

夜中突然の出発。
男たちを見送る女たちは、死も覚悟して送り出します。

ココシリ2

かといって暗いわけでなく、仲間たちはキャンプで歌ったり踊ったり。

ココシリ3

全編すばらしい自然の風景なのですが、たとえば監視所のところから出かけていく一隊を見送る大地の広がり。

ココシリ4

荒野を走り続けて見つけた密猟者たちを追いかけるシーン。
高原の中を走る、走る者たちの美しさ。

ココシリ5

川を渡るためにズボンを脱いで、凍えるような中でのパンツ姿というのがまた潔く清々しい。

ココシリ6

しかし、走ることが即、死につながることの驚き。
空気が薄い土地で、走ることで肺気腫を起こしてしまうからです。

ココシリ7

われわれは、隊に同行するガイ記者(チャン・レイ)と同じように、見るものすべてに驚きます。
美しく、厳しく、雄大な自然。
何百頭もの乱獲を繰り返す密猟者たち。
寄ってくる多くのハゲタカ。

そして、そのような過酷な状況の中で、憑かれたように追跡をする男たち。
生活とか仕事とかの感覚ではない、何か。

酒を回し飲みながら「まるで流れる水のように ああ愛しい母よ どんなに遠い旅でも必ず戻ります」と歌う男たち。そういえば、カラオケ以前はこんな風だったなぁ。
満天の星の下で、『ココシリ』は「青き山々」あるいは「美しい女たち」という意味だ、と隊員が教えてくれる場面の豊かさ。

ココシリ8

映画の中で、なんかスナックかキャバレーみたいな店が出てきます。
同じモンゴル系だからか、そこいらにありそうな店で、呑み方も似てる。
このお店で、あ、それほど違う世界のことではないんだと思わされたりもします。

ココシリ9

捕まえられた者たちが、走るトラックの荷台で言います。
「以前は羊やラクダの世話をしていたが、草原が砂漠になり放牧できなくなった。生きるためには仕方ない。」
そしてバケツに小便をする。妙に印象に残る場面です。

この他にも、日常的な生死が描かれます。
取り残された者が生きて帰れるかは「天候しだいだ」という場面。
あるいは流砂の場面。
反対に、氷の河にはまってしまたトラックを皆でやっとのことで引き出して、密猟者ともども喜び合う場面。

ココシリ10

誰がいいとか悪いとかいうことではない。ヒーローの物語でもない。
なぜ彼らはすべてを投げうってまでも警備をするのか?
隊長のリータイが言います。
「俺はただココシリを守りたいだけだ たとえ顔や手は汚れていても魂は汚れていない」
そう、絶滅種を保護するとか環境問題とかいう理屈ではもちろんありません。

映画の始めのほうで、殺された者の葬儀があります。
死者を清めたあと、亡骸(なきがら)を刻んで鳥に与える、いわゆる鳥葬が描かれています。
人もカモシカも、死ねばハゲタカが食べるということです。

映画はそのような死生観の中で、静かに終わっていきます。
隊員の並ぶ写真は、目線がカメラには向いていません。

ココシリ11

それはまるで、これはドラマではないのだと、改めて言っているように見えます。

2012.04.08.

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〜Cool Hand Lukeが、さわやかな笑顔で逃げ出そうとしたものは?

暴力脱獄1

走る人:ルーク(ポール・ニューマン)
と き:1967年ごろ
ところ:フロリダの刑務所(地図は冒頭シーンを撮ったというLodi, California)


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脱獄ものというといろいろありますね。
「大脱走」「アルカトラズからの脱出」「パピヨン」「ショーシャンクの空に」など、活劇もあればドラマもあります。男の世界です。

でもこの「暴力脱獄」はちょっと違います。
原題は“COOL HAND LUKE"、ルークというのは主人公ルーク・ジャクソン(ポール・ニューマン)のことです。

何が違うか。
ルークは刑務所に自分から意図して入ってくるんですね。
普通は刑務所には入りたくないのに入れられて、それで脱獄するというパターンです。
ところが、このルークは刑務所に入るために、冒頭、パーキングメータの頭を切り落とすという意味のないことをやります。

暴力脱獄2

なぜそんなことをやるのか?それがこの映画の中心テーマでもあります。

お決まりですが、刑務所には冷酷な所長(ストローザー・マーティン)がいて、意地の悪いボス、ドラグライン(ジョージ・ケネディ)がいます。
そして、そのボスや署内のみんなを徐々にルークが魅了していくんですね。

走るシーンもそう。
酷暑の中、道路の舗装作業をやらされます。
皆はどうすればさぼれるかを考えるのですが、ルークはすごいスピードで作業を始めます。
それが皆に伝播して、争って作業を進めるようになります。皆走っている。

暴力脱獄3

作業は2時間も早く終わってしまいます。
ここで、「大した野郎だぜ ルーク」という言葉が出ます。
これが「COOL HAND LUKE」なんですね。ポーカーの場面から「はったり屋ルーク」と訳している方もいますけど、私としては「すごいことを淡々とやってのける、大した男ルーク(長すぎ)」としたいところです。

そして、もうひとつの、これこそ白眉の走るシーン。
独立記念日に脱走したルークが、走る、走ります。

暴力脱獄4

名物犬ブルーが追いかけてくることを
見越して、川を駆け、線路を走り柵をジグザグに飛び越えます。

暴力脱獄5

豚の中を走り(とても楽しそうに見える)、橋を渡り川に飛び込みます。

暴力脱獄6

ブルーも凄い勢いで追いかけます。

暴力脱獄7

その追いかけた犬がどうなったか?知りたいでしょう?見てのお楽しみ。

ルークが大した野郎だというエピソードが、いろんな形で描かれます。
ボスのドラグとのボクシング、仲間内でやるポーカー(COOL HAND LUKEのもとはここ)、そして、有名なゆで卵50個のエピソード。
ここでのポール・ニューマンはほんとうに神がかって見えます。

暴力脱獄8

この後が有名な、あのシーンです。

でもこの映画が普通の脱走ヒーローものと違うのは、途中に挟まれる母親(ジョー・ヴァン・フリート)との面会シーンの不思議な雰囲気。
ピックアップトラックの荷台に乗っている母親。

暴力脱獄9

「世の中思うようにいかないけど進むしかない」という彼に、彼女は言います。「・・・立派になろうとしても、しょせん私らの子供だからね」この愛情と諦観あふれる面会の様子。
「子供にも気持のわく子とわかない子があるの・・・あんたは大丈夫」
深く理解しあう親子の感情。なんとなく複雑な事情がありそうな母と子のつながり。
しかし、あとで彼が途方もなく孤独であることもわかってきます。

ルークがなぜ皆のあこがれを集めるのでしょうか。
彼の写真をお守りのようにしている場面があります。

暴力脱獄10

自分の人生が、もうどうにもならないと思っている男たち。
そこに忽然と現われて、次々に不可能を可能にする男。
それも、涼しい顔で、いやさわやかな笑顔でやってくれる男。

日常の、当たり前のことから逃げるのがルークの人生。
だれもが逃げたくても逃げられない日常を、いとも簡単につきやぶってくれる男。
たまたま、その一つが脱獄だったということ。

しみじみとした音楽にのって、やっぱり最後まですごい奴だったと、ラストの「写真」が物語るのです。

2012.03.18.

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〜町をみている目は何歳なのだろうか

鉄コン1

走る人:クロとシロ
と き:不明
ところ:宝町(地図は地形のモデルの一つとされる代官山)


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いつごろでしょうか、『クールジャパン』などと言われ、その代表のようになったジャパニメーション。
私の記憶では、以前は「いい年した大人がマンガやアニメにうつつを抜かす、日本とは変な国」でした。

今は電車の中でゲーム機をカシャカシャ言わせ続ける輩も多い。
いくらクールでもこれはちょっと気分良くないですね。

それでも、いきなり登場したこの映画を堪能できることは、間違いなく日本に生まれた幸せであります。
松本大洋原作の同名マンガ(全3巻)は読んでいなかったのですが、映画を見たあとに逆見して、あらためてその凄さを確かめました。

鉄コン2

主人公はクロとシロという二人の子供。
親のいない二人は道徳を知らない。自分たちの町を守るために暴力もいとわない。
シロは知的な遅れのあるような存在。でも名言を次々に繰り出します(声は蒼井優、これがまた素晴らしい)。

私がものすごく好きなシーン。
「でたよ これだからなーカッコマンはな
『危険がおよぶだろ まきこめなーい』だってやんの」

鉄コン3

冒頭、隣の豊町から「朝」と「夜」という二人組の子供が宝町に攻めてきます。
彼らが捜しているのはこの町を支配しているという「ネコ」という存在。

この二人に追われて走る、走るシロ。

鉄コン4

走るだけではなく、跳ぶんです。いや飛ぶといったほうがいいかもしれません。

鉄コン5

この子供たちはなんだ?という序盤です。

出所してきたヤクザの鈴木=あだ名が「ネズミ」、その舎弟の木村などがこの町を支配しようとします。
そこへ国籍不明の「ヘビ」という男が登場し、「子供の国」という遊戯施設で町を再開発しようとする。
それらに対抗するシロとクロを中心に、ヤクザ、刑事たち、謎の組織の不気味な面々のからみあい。

鉄コン6

こう書くとなんだかノワール物みたいですが、まったく違います。
夢、記憶、寓話、イメージ、象徴、細部までの書き込み、沁みこんでくるようなキャラクター。
私の好きなものが詰め込まれている映画なのです。

後半、シロがヘビの手下に追われます。
町の中を逃げるシロ。

鉄コン7

パトロール中の刑事藤村と沢田がそれを見つけて追いかけます。

鉄コン8

走るシロ、揺れる視線。

鉄コン9

マンガとアニメの違いとはなんでしょう。
この走るシーンに代表されるように、スピード感や空間の流れる感じがアニメの大きな魅力です。

もう一つは、声なんですね。
原作のシロの不思議な言語感覚を見事に、ある意味原作以上に見せてくれたこと。
そしていきいきとした方言を随所に織り込んでくれたこと。
その代表、組長の言葉がいいです。
「まんず、かるちゃーしょっくですわ」

鉄コン10

あるいは、細かいところまで描きこまれた町の様子。
どこまで描かれているのか、引き込まれそうな細部の魅力。

鉄コン11

さてこの物語、女性がほとんど出てきません。
物語にからむ女性としては、ヤクザ木村の同棲相手の彼女・阿久津と、町のチンピラ・チョコラの年老いた母親の二人。
この二人だけなのですが、どちらも母を強くイメージした存在です。
しかし、チョコラの母は彼と一緒に町を出ていき、木村の彼女に至っては「男なんて絶対産まないわ」とまで言います。

母不在の世界なのでしょうか。
クロは「俺の町」といい、ヤクザの鈴木は「町に育てられた」と言います。
守ろうとしている町こそが母親としての存在のように思えてきます。

シロが夢想する南国の海。
魚と泳ぐその海も、シロにとっての母のようです。

シロが言います。
「シロいっぱいネジないの
こころのネジ 失敗してんの クロもね こころのネジがないの
でもクロのないネジ シロがもってた 全部もってた」

バランスが大事というじっちゃ。
シロとクロ、朝と夜、大人と子供、刑事とヤクザ、・・・。
欠けた者たちの、補い合いの物語でもあります。

シロは11歳。(マンガでは確か10歳だったかな)
それから考えるとクロは13歳か14歳くらいかな。
彼らが見ている町、少年の見ている町。

鉄コン12

クールジャパンと言われている日本、実は14歳くらいの視線でみている国なんではないかと思います。
マンガ、アニメ、ゲーム、AKBなどのアイドル。
少年少女の視線で動いていく不思議な国。

彼らが守ろうとし、奪おうとするのは「宝町」。
これが「黄金の国=ジパング」だと思うのはうがち過ぎでしょうか。

「もちもーち
こちら地球星日本国シロ隊員 応答どうじょー
シロ隊員 全力で悪とたたかっています どうじょ
この星はとても平和です
以上交信おわり」

自分たちの中にも彼らがいるとして。
応援するぞ、クロ、シロ。

2012.02.17.

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〜広大なスケールの中を走り続けるというのが一番違う、かな

metro1

走る人:フレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)
と き:2026年
ところ:未来都市メトロポリス (地図はベルリン・テンペルホーフにあった映画会社ウーファー社)


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未来SFジャンルの元祖にして圧倒的名画です。
作られた年から100年後の2026年が舞台ですから、おお、もうあと14年後ですね。
86年前に想像された100年後の世界をもうすぐ確認できるわけです。

物語そのものはとてもシンプルです。
巨大都市メトロポリスを頭脳で支配する一人の男と機械文明の恩恵を受けた富裕層の人々。
それを支える大勢の地下労働者たち。
極端に不平等な階級社会を正しく導くために、労働者たちに団結を説く女性。
『頭脳』と『手』を結びつけるのは仲介者が必要、それは『心』というのがテーマです。

描かれた世界は、意外と慣れ親しんだものでした。
この映画があまりに影響力が強すぎて、他の映画、マンガ、ドラマなどいろんなものに真似されたため、どこかで見たような気持ちになってしまうんですね。
たとえば、ビルの林立する未来都市の様子。
変に車が飛んでいたりせず、なかなかリアリティがありますが、子供のころからマンガで慣れ親しんだ世界なんですよね。

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あるいはテレビ電話。

metro3

これ、「2001年宇宙の旅」などと比べても全然古くないですね。
もちろん今実際に使っているものとも違和感ありません。

オフィスの様子も興味深いです。

metro4

この上から文字がふってくるディスプレイ(縦長でいくつもあります)など、株価情報の流れるティッカーボードを彷彿とさせて感心します。
ただ、帳簿のようなものをめくって仕事している様子はやはりちょっと古いですね。

このようにすごくよくできてるところがある半面、なんだこりゃと思うところも当然あります。

人造人間をつくる科学者ロートヴァング(ルドルフ・クライン=ロッゲ)の実験室の様子。
かなり複雑な装置が並んでいるけれど、メインはぶくぶくいってるたくさんのフラスコです。

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人造人間を人間化するシーンは今見ても古びていないので、ここはやや残念です。

そもそも地下で大勢の労働者が肉体労働をしているという設定自体が、かなり違います。
行列で黙々と行進して、大きなエレベーターで地下へ送り込まれます。
いや、しかし東京の地下鉄に乗り込むサラリーマンの大群と考えれば、それほど違わないか。

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今現在、構造は同じかもしれませんが、肉体労働ではなく、より社会的でより精神的なギャップが問題になっているのではないでしょうか。

街の支配者フレーダーセン(アルフレッド・アベル)の息子で、主人公であるフレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)があるきっかけでその地下で働くことになるのですが、あまりの過酷さに叫びます。
「お父さん 10時間労働は長すぎる! 終わらないよ」

metro7

さて、そしていよいよ走るシーンです。
冒頭で、富裕層の子弟たちが生活する施設「子弟のクラブ」という描写があります。
そこには講義室や図書館、劇場などがあるのですが、スタジアムもあります。
そのスタジアムで、上半身はだかで走る男たち。

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超ロングとアップ。

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主人公フレーダーがここで走りに走っています。
これがかなり不思議な印象です。
とんでもなく広いスタジアム。
嬉々として競走をする若者たち。
異常なくらいの明るさ、嬉しさなのですが、なぜかとても不安な気持になります。

このあとも、フレーダーは全編に渡ってかなり走っています。
よく考えたら、私たちは日常はそんなに走りませんよね。
学校でも廊下は走らないように教育されますし、会社でもどたばた走っていると怒られます。

ものすごく広いところに置かれると、走りたくなるのかな?
そんな風に思うほど、どの場面も広さや奥行きスケールが大きいんですよね。

他にもなんかグエル公園みたいなところで、スケスケ(表現が古くてすいません)の服をきた女たちと戯れるフレーダー。
なんなんだろうか、と思います。

metro10

はたと気づくと(そんな大したことではないですが)これは未来SFと書きましたが、本質は悪夢と希望の物語なんですね。
バベルの塔や七つの大罪なども出てきて、宗教的な面も色濃く出ています。

そういう風に見ると、何が近くて何かはずれているというようなことは全く気にならなくなります。
この圧倒的なスケール、強引な展開は悪夢を見ているようです。
エネルギーの停止、湧き上がる水に逃げまどう子供たち。
ああ、これが単なる悪夢で終わってくれればいいのだが、などどいらぬ心配をしてしまいます。

反乱する労働者たちの走る様子。いったい何人いるのでしょう。

metro11

そうそう、忘れてはならないのは、この街の歓楽街が「ヨシワラ」というんです。

metro12

左側にちゃんとYOSHIWARAという大きな看板文字がみえますよね。
ここがかなり邪悪なものの象徴として登場してます。ちょっと複雑な思いです。

最後になりますが、やっぱり人造人間ヘル(あとではマリア)でしょう!
この不思議な美しさ。

metro13

彼女?が歩く様子がまたなんとも言えず素晴らしい。
私としてはこのヘルに走ってほしかった!
いや、この姿では走らないほうがいいかもしれない。
このぎこちなく歩いてくる姿こそ、最高の見どころかもしれません。

さて、あと14年。
日本はこのようなロボット(アンドロイド)をつくることができるのでしょうか?

※「メトロポリス」は様々なバージョンが存在します。今回は2001年デジタル復元バージョン(118分)で書いていますことをご了承ください。

2012.01.20.

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