〜「モンスター」には見えなくなってくる

走る人(モンスター):サリー、マイク
と き:不明 2000年ごろか
ところ:モンスターシティ(地図はPixarのスタジオです)
より大きな地図で 走る映画 を表示子どもが大きくなってくると一緒にディズニーアニメ映画を見るようになります。
そのアニメ世界の主人公が、いつしか白人でなくなってきたころ、突然現れたのがピクサーのフルCGアニメ「トイ・ストーリー」でした。
これにはほんとにビックリしました。
現代劇で面白くて夢もあって、しかもちょっと毒もあって新しい!
子どもはよく同じものを何度でも見たりしますが、それに付き合わされてもぜんぜん見あきないというのがすごいです。
そして、それらピクサーシリーズの中でも、私が一番好きなのがこの「モンスターズ・インク」です。
モンスター・インクという会社の設定、悲鳴をエネルギーにしているというアイデア、ドアがテレポートの装置になっている(これって、どこでもドアだけど)ことの面白さ、、、もうきりがありません。
中でも一番のポイントは、出てくるキャラクターたちの面白さです。
メインのモンスターたちはもちろん、ちょっとした脇キャラが抜群に面白い。
私の一押し?
雪男(イエティ)ですよ、もちろん!

サリーとマイクが激しい言いあいをしている時に、気まずさをさけるように外に出て行く間(ま)なんて最高ですよ。
「ようこそヒマラヤへ!」という登場シーンを見るたびに、ほんと嬉しくなります。
物語は説明するまでもありませんが、社内の成績争いから問題が会社の中枢へと進んでいくメインストーリーと、モンスター・シティに入り込んできた人間の子ども「ブー」に対するサリーの愛情が絡み合い、クライマックスの大活劇へと展開します。
ブーを救おうと走るサリーとマイク。

ちゃんと、サリーは重そうだし、マイクはペタペタした感じが良く出てます。
社内のライバル、ランドールはトカゲのような姿。

ウォーターヌース社長は八(六)本脚で走る、走ります。

こんないろんな生き物が一緒に走るのも、ディズニーアニメならではですね。
それにしても、あのドアのストックされている自動倉庫のなんというスケール感。

そしてこれら高速で移動するドアを飛び移りながらスピード感満点の追っかけが繰り広げられます。
ドアを開けるといろんな国の子どもの部屋につながっているのですが、日本も出てきます。
よく見ると障子戸のサイズがやたら大きかったり、畳の割り付けが変だったりしますけどね。

マイクとセリアがデートでゆくレストラン「ハリーハウゼン」は、日本食レストランでした。店に入ると日本語で「いらっしゃいませー!」と板前たちの声がかかります。と言っても板前は「志」ハチマキのタコですけど。

よーく話の展開を見ていると、「最近は子どもが怖がらなくなってきた」という事情があって、3代目社長の業績不振への焦りがあり、企業内部への秘密調査という現代的な、やや暗い要素もあります。
それらが最後にはすべて見事な解決をするという、この物語はかなりの感動モノ。
それに加えて、すでに書いたようにキャラクターの面白さですが、途中から彼らがモンスターではなくて身近な人物に重なって見えてくるんです。
ちなみに、うちの妻は私の空手の先生を「ウォーターヌース社長」と陰で呼んでいます。
それだけキャラ設定がうまいということですね。
そもそも最初のタイトルのアニメーションと軽快なジャズ音楽が出たときに、あ、これはきっと素晴らしい映画だ、という予感があったんです。

そしてエンドロールがまたニクイ。
とっさの言い逃れで出した「劇の練習」というのが、ほんとの劇になっている!
NG集も楽しいしねー。
最後に、一つだけちょっと気になっていることを書いて終わりましょう。
ピクサーアニメをいろいろ見てますが、「父親」があまり出てこないんです。
いわゆる一般的な家庭の父親がいないのです。
「トイ・ストーリー」でもおもちゃを買ってくれるのは母親。
「カール爺さんの空飛ぶ家」に出てくる子どもラッセルも、表彰を喜んでいるのはお母さんだけです。
モンスターズ・インクでも、ラストの劇を見に来てるのは、マイクのママです。

サリーは独身で若者ですが、自分でもわけもわからず必死にブーを守ろうとします。
サリーがなぜブーをあんなに守ろうとするのか、実は説明はされていません。
会社のいわば父役である社長は、役割に悩みます。
ライバルたるランドールも、あくまで自分本位で、部下には嫌われています。
この中では父的役割のヒーローは誰もいないのです。
そしてシミュレーションルームで新人を厳しく指導するのは女性スタッフ(管理職?)。
マイクにせまり、機転をきかせて皆を助けるのは受付嬢のセリア。
最後にすべてを統括する存在も、あえて書きませんが女性。
サリーが担っているのは、その中での、新しいヒーロー、新しい父親の役割へのめざめと見るのは、あまりに勝手すぎる読みでしょうか。